昨日はお墓参りしてきました。
平日という事で、墓参の人も少なく、お天気も最高に良くてゆっくりとお参り出来ました。
そんなお墓参りの日に思ったのは人って死ぬには一定の条件があるのかなと思います。
大方の人は、世の中での全ての役割を終えた人が長い眠りにつくことです。
僕もこの歳になると親類を始め周囲の人の訃報を受けますが、年配者ならば「長い間ご苦労様でした、ごゆっくりお休み下さい」と手を合わせます。
逆をいえば、まだこの世でやることがある人は死ぬことはできません。
ここで言う「死ぬ」とは不幸なことではなく、安らかに眠れるというある意味での達成感にも通じる事を意図していますが、そうではなくて祖先からの因縁の為に成果の出ない辛く長い人生を罰として生かされてる人も、この四柱推命を勉強することでわかってきます。
将来に何の希望も望みも可能性もないのに生かされてるのはまさにこの世の囚人でしかありません。
それでも死ぬよりもマシと言えるのか、、、。
それは人それぞれですが、僕なら早々にこの世からオサラバしたいと願いたいですが、そういう人に限って身体は妙に健康で死ぬことすら出来ないのです。
死ぬのは悪いことでも辛いことでもないのですが、最期の時を温かな家族に看取られて旅立つ事が出来ないのは本当に辛い最期でしょう。
しかし、孤独死を推奨するお偉い先生もいらっしゃいます。
自分が孤独死するのがわかってるので他人にも孤独死を勧めてるのですからその思考に僕はついては行けませんが、彼女もまた理想の最期は期待できないとご自身でわかってるだけまだ救いもありますが、これらの自覚もない人は、長くこの世で祖先前世の罪を受けて生き続ける罰を受け続けるしか無いのでしょう。
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏